PR

高市早苗首相への太田光氏「責任論」はなぜ炎上した?心理的安全性を壊す「意地悪な質問」の正体

2026年2月8日、衆院選。自民党が歴史的圧勝を収めた夜、
TBSの開票特番で一つの「炎上事件」が起きました。
爆笑問題の太田光氏が、衆院選直後の高市早苗首相へ投げかけた問い
「公約ができなかった場合、どう責任を取るんでしょうか?」

このやり取りは瞬く間にSNSで拡散され、賛否両論が繰り広げられました。

当然のことを当然のように問うているだけに見えるこの質問
ではなぜ、この質問はこれほどまでに反響を生んだのか
私は ここに日常生活や仕事にも共通する

「コミュニケーションの本質」があると考えます


1. 相手の「心理的安全性」を破壊する攻撃

ビジネスシーンでも注目される「心理的安全性」
誰もが安心して発言し、挑戦できる状態を指しています
太田氏の質問は、この安全性を真っ向から破壊するものでした。

努力のスタートラインに立つ人に対し

「失敗を前提としたネガティブな仮定」を突きつける。
これはジャーナリズムを装った
心理的な「嫌がらせ」に近い行為と多くの人に捉えられました

  • 詰め問(太田氏流): 「できなかったらどうするの?」
    → 恐怖を与え、萎縮させる
    「辞任します」を引き出すことが目的の誘導質問
  • 育問(建設的): 「実現のために、私たち有権者は何に注視すべきなの?」
    → 共に未来を作る姿勢

2. 「責任=辞任」という短絡的な思考停止

私たちは「責任を取る」という言葉を聞くと、
反射的に「辞める」「罰を受ける」ことを想像してしまいます。
しかし、この考え方は
政治やビジネスを単なる勝ち負けの小さな世界に矮小化していることに他ならない

本来の責任とは、「誠実に応答し改善し続ける」こと。
公約が100%達成できなくても、
状況に合わせて軌道修正し、
少しでも良い結果を求めてトライアンドエラーを繰り返す。
それこそが負うべき「継続的な責任」です。
(ただ刑務所に入るだけではなく。
刑務所出所後も継続的に社会貢献している姿を見たとき
どちらに責任を取ったと感じますか?)

もちろん、世の中には
「世界はとても単純な仕組みで動いている」と信じている、
ある種ピュアな方々もいらっしゃいます。

例えば、金利差や貿易収支など複雑で構造的な要因によって形成されている円安の現状を、
「高市氏が容認したから円安になった」などと一つの要因だけで語り、
それだけが世界を形作っていると本気で思い込める……
そんな「美しい知性」をお持ちの方々にとっては、
トライアンドエラーの重要性は理解しがたい難しい話かもしれません

しかし
現実の責任とは
「失敗=即退場」という
なぜか老齢の方々に好まれるパフォーマンスではなく
掲げた目標(ここでいう公約)に向けて軌道修正し続けることそのものを指します


3. 「意地悪な質問」へどう対処する?

あなたが職場や親戚の集まりで、
「失敗したらどうするの?」といった意地悪な質問をされたら、
高市首相のこの切り返しを思い出してください。

① 「メタ・コミュニケーション」で相手を牽制

「意地悪な質問ですね」と、
相手の「問い方の質」をその場で指摘しましょう。
内容に正面から答える必要はありません。

② 「人間味」のある言葉で共感を得る

高市氏が「いじわるやなぁ」と関西弁で不快感を示したように
自分の感情を素直に言葉に乗せます
「これから頑張ろうとしているのに、悲しいです」
自分は頑張ろうとしている状況であることも伝えましょう

③ 「未来の話」へ話題転換

いじわるな質問に最も効果的な対処です
「もしも」の話に付き合わず
「今、私が集中しているのは〇〇です」と、
自分のやるべきことに話を戻します
今回の件で例えると
「公約の実現に向けて真摯に取り組み続け、豊かで強い日本にします。」
このように答えると
責任=公約の実現に向けた取り組み自体が責任という話になり
誘導先が「辞める」「辞めない」という二元論の
くだらない質問への返答を避けることができます


4. 質問は「聞き方」と「タイミング」で180度変わる

太田氏の質問の意図
(=責任の所在を明確にする)自体は理解が可能で、
ジャーナリズムとして間違っていないどころか大正解です
しかし、それが「いじわるやなぁ」と思われてしまったのは
聞き方とタイミングがあまりにも稚拙だったからです

ここで
質問側がどうすればよいのか
解決策を含め考えてみたところ以下のような結論がでました。
私たちが日常生活で
「言いづらいけれど確認しておきたいこと」を問う際に
以下の2点を守るだけで相手を萎縮させずに
本質の(聞きたい部分)を引き出すことができます

① 「お祝い」や「挑戦の直後」はリスクに触れない

心理学において、成功の余韻に浸っている瞬間は、
最も「自己効力感(自分ならできる/やらなければならないという熱意)」
高まっている時です。
ここに冷や水を浴びせるのは、
相手の人間性を否定するのと同義です

今回の太田氏・高市氏のやり取りでは、
自民党に投票した有権者に対しても冷や水をぶっかける結果となり、
非難を浴びることは目に見えていました

プロジェクト受注直後のメンバーに質問してみよう

  • NG: 「で、失敗したらどう責任取るの?」
  • OK: 「まずはおめでとう!具体的に着手する中で、もし想定外の壁(失敗)にぶつかった時は、どう対応する予定ですか?」

② 質問を「攻撃」ではなく「協力」の形に変える

「できなかったら?」という問いは、
相手を「被告人」の位置に立たせます。そうではなく
「伴走者」としての問いかけを選びましょう。

  • 「詰め問」: 「公約が守れなかったら辞めますか?(=Yes/Noの踏み絵)」
  • 「育問」: 「公約実現の鍵となるのはどこですか?
    万が一のハードルを越えるために、今から準備していることはありますか?」

「質問」は、相手をやり込めるための武器ではなく
より良い結果を共に導き出すために使うべきであるべきだと考えます
(おそらくそう考えていた人が多かったため、
炎上したのだとは思いますが…)



💡 まとめ:喜びの瞬間に「品格」

結婚式の席で「離婚後の調停費用」の話をするのが無礼であるように
勝利の瞬間に「失敗の責任」を問うのは、人間としての品格を疑います
責任に関する質問をする場合
最低でも「自民党を選んで正解・不正解を判断する基準」などを聞き
「失敗の責任」の手前の部分を深掘りするべきでしたね
正論や民意を振りかざして
相手を追い詰めるだけの「意地悪な正義感」に
多くの方々が吐き気を催したのではないでしょうか笑
単に相手をやり込めて溜飲を下げる必要はありません
その挑戦を支持する人も、あるいは厳しく監視したい人も
議論をより高い次元へと引き上げるため
適切なタイミングで適切な問いを投げかける
必要なのはたったこれだけ


【読者の皆様へ】
誰かの挑戦に「水を差す」ような言葉をかけられたことはありますか?
また、そんな時どう切り返しましたか?
政治の話だ と対岸の火事ととらえずに
日常生活で自分がしないように意識することが重要です