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元・食いつくし系の私が語る「あの時の獣のような衝動」。なぜ私は家族の顔が見えなかったのか

食いつくし系が隠し持つ幼さと異常性の正体
自分の権利には敏感で
他者の痛みには鈍感な者たちに
とっておいた一口のケーキ
子供のことを考えて取り分けたおかず

それらが一瞬で食いつくし系の口に消える時
沸き起こっていたのは
単なる食い意地への呆れではない
食べるその瞬間だけ
自分や子供の存在を忘れてしまう
できの悪さへの絶望と落胆と気持ちの悪さ

SNSで食いつくし系という言葉が飛び交う昨今
これは単なる食習慣の差ではなく
家庭内における尊厳の侵害であり、
客観性を欠いた人間による暴力と同じだ

「お菓子とご飯食べつくさないで」と
親に注意されていた過去をもつ私が
過去の未熟さを反省しながら
食いつくし系の
異常行動異の根底にあるのが
単なる空腹感ではなく
「他者への想像力」と「客観性」の
欠如であることを伝えていきたい

客観性を喪失した裸の王様の正義

食いつくし系の最大の欠陥は
物事を客観的に捉える能力が
馬鹿みたいに著しく欠如している点にある。

食いつくしの世界では
自分の空腹感という主観的欲求が 
家族の空腹や取り置きされた食材の意味といった客観的事実を
すべてバターで塗りつぶしているのだ

皿の上に並んだ料理が 
誰のために 
どのような意図で配分されているのかを
俯瞰して見る視点があれば 
子供の分を奪うような真似はしない

しかし、
食べつくし系は
自分の食欲というフィルターを通した世界しか見ない。
この客観性の欠如は 
もはや大人としての認知能力を疑わざるを得ないレベルである

想像力を放棄した ただのガラクタ人形

他者への配慮とは 
相手が何を望み 
何に痛みを感じるかを想像すること

食いつくし系に欠けているのは 
この他者への想像力
人と深くかかわる経験がないものが持つ特性なのかもしれない

という私も高校生の時は同じことをしていたのだが

料理を作る側がどういう心境で料理を提供し
料理を楽しみにしている家族がどれほど落胆するか

その痛みにまで意識が及ばないのは 
パートナーを
自分と同じ感情を持つ対等な人間として見ていない証拠

自分の欲求を満たすための道具
あるいは無尽蔵に湧き出るサービス提供者としてしか
認識できないのかもしれない

この一方的な搾取こそが 
配慮の欠如の正体である

楽しく見ているテレビのチャンネルを
強引に変える変人を思い浮かべてほしい

さて
楽しみにしていた番組やゲームの最中に家族が
「私も見たいものがあるから」と断りなくチャンネルを変え 
君の楽しみを中断させる。
「また今度見ればいいじゃない」
「録画すればいいじゃない」と他責思考のアクセルを踏み切っている

そんな
自分の楽しみを奪われた時
被害者の立場になったとき
はたして食いつくし系の君は
「心が狭い」「仕方ない」と言われて納得できるだろうか

不可能である

できないのに脳が足りず食いつくしてしまっている

食いつくしと家事育児無関心(飛躍しています)

食いつくしという行動は
家庭内のあらゆる無関心と
地続きになっていると私は考えていますよ

根底にあるのは 
自分はケアされる側で
相手はケアする側という歪んだ特権意識

一緒に歩んでゆく未来は容易に想像できます

オムツを替えない 
名もなき家事に気づかない 
そして家族のお菓子や料理を食い散らかす

家庭における責任を客観的に分担する意識のなさが見え見え
なんなら家庭内での責任なんてものは
無いとすら考えているかもしれない笑

家族の疲労や喜びよりも
自分の今食べたいという衝動を優先する姿勢は
共同生活における最低限の配慮すら放棄している

なぜ共同生活しているのか疑問に思うレベルなのだが?
もっと注意しなさい

カロリー論という、つまらない言い訳と責任転嫁

私がこの記事を書こうと思った理由はここにあります
食いつくし系を擁護する声の
だらしなさや恥ずかしさったらなかったので…

SNS上の論争で 
食いつくし系を擁護する側が持ち出す男女のカロリー差という理屈は 
吐き気を催すほどの無様な論点ずらし

「体が大きいから多く食べて当然」という主張は
ただただ自分の欲求を正当化するために
生物学を悪用していることになぜ気が付かない

足りないならば「僕私もっとご飯たべたい」と一言伝える
もしくは、
自ら買い足し 
自ら調理するのが当たり前の大人の振る舞いである

それをせず
家族の分を奪うことを正当化するのは 
相手を労働力としてしか見ていない支配欲の表れでしかない

客観的に自分の必要量を把握し、
それを伝えるか自分で手配する 
そんな当たり前の努力をパートナーに押し付ける

男は理論的で女は感情的?

笑わせんじゃないよバカ、まったく

最後に、かつて「食いつくしていた」私だからこそ、断言できます。

あの時、
私の脳内に家族の顔はありませんでした。
あったのは「今、これが食べたい」という獣のような衝動だけです。
自分が満たされる裏で、誰かが涙を呑んでいる。
その想像力が欠如している状態を、世間では「幼稚」と呼びます。

カロリーが足りないなら、
自分でコンビニへ走りなさい。
作り手の愛を無視するなら、
自分で包丁を握りなさい。

愛する人の分を奪ってまで満たす腹など、
この世に一つもあってはならないのだから