
「会話がめんどくさい」という無様な敗北宣言
先日 仕事帰りの居酒屋で
新社会人らしき若者の2人組の会話が聞こえてきました
ビールを片手に、一人が悦に浸った顔で芯を食ったように
「人と関わるのってコスパが悪い
会話がめんどいし
一人で動画見てる方が楽」
あたかも自分は無駄を削ぎ落とした
効率的で賢明なカシコイ人間ですと言いたげな発言に
相手も「あ…そうだね」と苦笑
カシコイ人の話は聞かなければ!!
そう思い
効率的な会話やらにこっそり耳をそばだてていました
露呈する「中身のなさ」
彼の会話は
さかむけを眺めるよりも退屈でした
「最近どう?」
「あー、まあ、ボチボチやね」
「それな」
「マジでそれ」
会話がめんどくさい
そう言って逃げていたのは
会話ではない
単に 自分自身が
「他人と共有できる面白い話」も
「相手を引き出す知性・能力」を
一ミリも持ち合わせていないという現実から
逃げていただけでした
間が持たない
語彙がない
相手の言葉に対する想像力がない
そんなコミュニケーション能力の欠如を
「めんどくさい」という一言でパッケージ化し
あたかも自分の意思で会話をしないという
選択肢を選んでいるかのように
していただけでした笑
運動音痴な子供が
「スポーツなんて汗をかくだけで非効率だよ
めんどくさい」
そう愚痴を吐き捨てる姿に
そっくりで見ていて 痛え
自意識過剰に押しつぶされる君へ
これは私の考察
疲れる/めんどくさいと言うのは、
相手を気遣っているから
ではなく
自分がどう見られているか
滑っていないかという
肥大化した自意識から逃げているだけ
自分に関心がありすぎて
他人というコントロールできない存在に
ブルブル怯えている
傷つくのが怖い
恥をかくのが怖い
だから「タイパ」や「効率」という言葉を隠れ蓑に
安全なスマホの画面の中に逃げ込む
面白いを作れない人が
面白いが簡単に作れる会話という土俵から逃げ出し
面白いを供給してくれるネットや
動画に縋りつく姿は
いとおかしですよ
「めんどくさい」は無能の自己紹介
会話は本来 簡単で楽なもの
なんなら楽しい
(会話ができる人であれば)
自分とは異なる背景を持つ人と対峙し
言葉を選び
衝突し
共鳴する
その予測不可能なセッションが
娯楽であり、
自分の経験値を高める最短ルートです
泥沼に浸かる勇気
よく
「一人が好き」なのと
「会話が怖い」のを混同している人を見かけます
もし「会話がめんどくさい」という言い訳を
口にしそうになったら
久しぶりにリビングに降りて鏡を見てみて
映っているのはいけてる人ではなく
ただの
「コミュニケーションという小波から逃げ出したチキン」
(コミュ障)ではないだろうか
スマホを置き 配信を見るのをやめ
大勢と関わってみる
99.9%以上の人は
「会話がめんどくさい」とこぼす人間よりも
面白くリズミカルなセッションをしているに違いないから
「めんどくささ」の先にしか知性の輝きは存在しないのだから。

